
天上碑の舞台となっている中国の各省。実際はどんなところなのかを簡単にご紹介します。

- 人 口
- 9,315万人
- 面 積
- 16.7万平方キロ
- 省 庁
- 鄭州 (zhengzhou)
河南は中国の真中に位置し、南北を結ぶ重要な交通路となっており、黄河の南に位置することから 「河南」 と呼ばれます。中国の中央部という点から 「中原」 とも呼称されます。略称として 「豫」 があてられているのは、この地域が古代中国の豫州にあったためです。
工業・農業共に発達が目覚しく、小麦、タバコの葉、巻きタバコ、ごま、トラクター、ベアリングの生産量で全国トップ。
中華文明の発祥地であると言われ、数十万年前にはすでに人類が居住していたことがわかっています。8千年前から 5,6千年前に裴李崗文化、仰韶文化、竜山文化が次々と出現。伝説では伏義、黄帝などもここを拠点としたことになっています。
夏王朝は 「嵩山」、「洛陽」 を中心とし、大禹の治水もこの場所。殷商時代には既に相当発達した文明が栄えていたようです。さらに周代から宋代まで、10の王朝がこの地に都を定めています。
河南省という名称は清代になってつけられたもので、「七朝の古都」 と誉れが高い 「開封」 は、春秋時代に鄭が都を置いて以来、およそ2000年の間に 7つの王朝の首都となって栄えています。
洛陽にある 「白馬寺」 は仏教が中国に伝来して建てられた最初の寺であり、中国仏教の発祥地とみられています。
禅宗の始祖・達磨大師は527年、インドから船で中国に渡り、曲折を重ねてようやく中国にたどり着いたと言われます。達磨大師は 「少林寺」 を布教の中心とし、少林寺は禅宗のメッカとなりました。
大師は自ら 「少林寺」 の西北にある石洞のなかで 9年におよぶ座禅を体験し、厳冬においても、また酷暑においても身じろぎ一つしなかったと言われます。その地が現在、「達磨洞」 と呼ばれている場所です。
「少林寺」 の武術を習う風習も、達磨大師が打ち立てたものです。大師は壁に向かって座禅することが体の衰弱をまねくをことを考え、また寺僧が座禅をして眠気におそわれることなどから、ぜんぶで18から成る、「少林十八手」 を考案しました。
唐代初期には、太宗の李世民と隋の将兵・王世充の天下争いの中で、李世民の危機を少林寺の武僧が救い、唐軍に勝利をもたらしたことがあります。唐の太宗は天下を治めた後、少林寺に爵位と田地を与えて賞し、武僧が酒を飲み肉を食することも許可した。
その後は皇室の寺院として、周囲にある数多くの寺や廟を統轄するようになり僧兵団を組織。後に武芸に秀でた武官を派遣して軍の格闘技・刀術・槍術・剣術などを伝授したことから、完全な形を呈した少林武術が形成され、数々の戦功からその名を轟かせることとなりました。
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